<竹島>仰天「アワビ375キロ」 漁業のメモ発見 県対策室「実態知る重要な資料」 /島根
2016.05.27(14:36)
毎日新聞 2016年05月27日12時50分今より80年前の1936年頃、竹島周辺にて1人の漁師が1日300~400キロのアワビを獲っていたそうです。
漁法が書かれていないのですが、素潜りだったのでしょうかね?
実際愛媛でも、そこら中にアワビがいた頃があったとか。
でも今では1人1日頑張っても4~5kgのようです。
だって、アワビがいない、、、
これまで獲りすぎたこともありますが、海藻がどんどんなくなる「磯焼け」も大きな問題です。
各県が失われた自然を取り戻そうと漁礁を入れたり、海藻を植えたりしていますが、大きな成果は出ていません。
ただ大阪周辺の水質は綺麗になって、今ではなんと大阪湾でアワビが獲れるようになりましたよ。
↓以下、本文
県は、男性漁師が竹島(隠岐の島町)での戦前の漁業の様子を記したメモ「ランコ行き」が見つかったと発表した。竹島は地元ではランコと呼ばれていた。メモにはライバル漁師との競争で「アワビを375キロ取った」との記述もあった。県竹島対策室は「昭和初期における竹島漁業の具体的な実態のわかる重要な資料」と評価する。
県などによると、メモは隠岐の島町久見地区の漁師、八幡伊三郎さん(1894〜1988年)が残した。記憶を元に1970年代に記したとされ、ノート大の紙の表裏にペン書きされている。町が4月、八幡さんの家族から2014年に寄贈された資料に挟まれているのを発見した。
八幡さんは1936〜38年に計4回、竹島へ出漁。記録には、他地区の漁師とアワビ取り対決をして勝ったことや、ワカメの長さが200センチ以上あったことなどが記されている。漁師対決では2人で1日計600キロのアワビを取ったとの記載があるが現在、久見地区ではアワビは1日10キロ取れれば豊漁という。アワビについては「塩ナク」との記載があり、保存用の塩が無くなるほど豊漁だったことが推測できるという。
地元で漁師歴約40年の前田芳樹・同町議(64)は「当時の竹島周辺は、岩に重なるようにアワビが密集していたとの言い伝えがある。八幡さんは、すご腕と聞いていたが改めて数字を知ると、驚くしかない」と話した。【長宗拓弥】
スポンサーサイト